中田英寿とザッケローニの対談
「コンニチハ」
「チャオ」
「調子は?」
「いいよ 君はまだ世界の民なのかい?」
「ええ、まだ旅はしていますけど」
「最後にあったのは・・・」
「ブラジルですよね」
「まだ若いし プレーできるんじゃない?」
「ええ まだ33歳ですけど・・・でも・・・」
「世界の旅人をする方がいいかい?」
「今のところはそうしsたいと思っています」
1998年 セリエA ペルージャへ移籍
1年目から10ゴールをあげ、世界を驚かせた男、中田英寿。
そして、この時にもう1人世界を驚かせた男が居た。
低迷していた名門を就任1年目で優勝へ導き、名勝の仲間入りを果たした男を中田英寿はどう見ていたのか。
日本で最もイタリアを知る男が日本初のイタリア人指揮官を切る。
果たして、ザックジャパンの未来図とは?
その答えは今語られる
ザックの目に映るニッポン
「以前に何度か日本二いらしたことはあったのですか?」
「いや一度もないね」
「一度も?」
「でも日本に対しては遠くから見ているだけだったが、いつも親近感を持っていた。でも、まさかこんな形でくるとは・・・」
「監督として・・・」
「そう。だからオファーが届いた時、あまり時間をかけずにすず承諾したんだ」
「本当に?」
「ああ。日本にいいイメージを持っていたからね。だから国によっては断った。過去に外国の強豪クラブや代表チームからオファーをもらった事もあるが、行く気になれなかった」
「そうしていただいて日本人としてうれしいです」
「とにかく日本代表を見て最も心を打たれたのは選手たちの成長したいという願望だ。私はこれから10年間で日本サッカーが大きく伸びると思っている」
日本サッカーの課題
決定力不足は解消するのか?
日本の慢性的課題、決定力不足
攻撃的サッカーを得意とするザックは、その問題を解消できるのか・・・
「Jリーグのレベルはあなたから見て高い?それとも低いですか?」
「ヨーロッパのサッカーとは違うね。日本はもっとテクニカルだから。イタリアよりもスペインのサッカーに似ているかもしれない」
「スペインのサッカーに似ているというのは良い意味ですよね?」
「もちろんさ。ワールドカップで優勝した訳だからね。もちろん良い意味だよ」
「では日本に欠けていると思うものは?」
「センターフォワードがあまり豊富ではない。そのため、Jリーグではフォワードに多くの外国人選手を起用している。だから若い選手たちにとって、そのポジションでチャンスをつかむのは困難だろう。だが私は日本にも良いフォワードを見つけたよ」
「Jリーグで?」
「ああJリーグでだ。もしかするとトップ下で動き回るタイプの選手なのかもしれないが」
「スピードのあるタイプですね?」
「ああ。スピードの中でテクニックが使える。面白いと思った」
ザックが語る面白い選手とは誰か。
ワールドカップで南アフリカに行ったメンバー以外で召集されたフォワードは3人。
いずれもスピードとテクニックを兼ね備えている
「日本は自分たちの特徴に合わせたサッカーをすべきだと思う。つまり、今のテクニカルなサッカーをスピードに乗せてやることだ。もちろん、別のリーグから学んで、質の高いプレーを目指す必要があるだろう。確実に言えることは私は日本の伝統を買えていくつもりはない。その伝統の中に入っていくのはこの私であって、日本人が私に合わせるのではない」
中田が抱き続けた日本のジレンマ
20歳でA代表に選ばれて以来、日本を牽引し続けた中田。
その長き戦いの中でずっと溜め込んできたものがある。
それは、日本人体質とも言える代表選手のあり方。
それを、中田はここで新監督にぶつけた。
「僕の個人的な日本代表のイメージは、監督から言われたことは出来るけど、自分たちから何かをやることはできない。その点が日本に欠けている部分だと思うんです・
「クリエーティブな発想、想像力が足りないと?」
「ええ」
「これはユースレベルから始めるべきことなのだが、ボールをどこに出すべきかは、監督ではなく選手が決めるべきなんだ。それと同時にボールを持っていない選手も仕掛けていかなければならない。選手が考え、決断する、それが基本だ。選手はクリエーティブな発想を持たなくてはならないのだが、それはユースの頃から培っていくべきものなんだ」
「でもあなたはユースを教えることは出来ないでしょうから、どうすればいいのでしょうか?」
「ああ。私はA代表しか率いないからね。だが代表チームにやってくる選手には説明するつもりだよ。彼らは成長したいという気持ちを持っているし、私も、もtっとよくなりたいと思っていえるから、うまくいくと思うよ」
「ところでザックさん、英語は話せますか?」
「ほぼダメ!」
「ほぼダメ?」
「じゃ日本語はもっとダメ?」
「ああダメだ!まったくダメだ!でも最低限の日本語は覚える予定だ。だが、怒る時は間違いなくイタリア語だ」
「そういえば、イタリアでプレーする選手も2人いるが・・・」
「ああ森本ね。でも彼のイタリア語はとても訛っている」
「すごく訛っている」
「彼のイタリア語はイマイチだね。でも、長友はいいね❤長友はすぐにイタリア語を覚えると思うよ」
アルゼンチン戦に向けたザックの戦略
まもなくキックオフのアルゼンチン戦。
ザックはいかにメッシを封じるのか。
注目の一戦に向けついに明かされるその真意。
果たして戦術家ザックの秘策とは。
驚きのプランにヒデが迫る!!
「アルゼンチンせんは何より自分にとって大事な試合。いつものように真剣勝負を挑むよ」
日本代表新監督ザッケローニはいかに名勝への道を歩んだのか。
彼の故郷であるアドリア海に面したリゾート、チェゼナティコにそのルーツを探った。
38年来の友人の言葉には、ザックの負けず嫌いの一面が現れていた。
「ゴールが入った時は大声で叫んでいたね。ミスした時は、よく歯をカチカチやって悔しがったもんだよ」
少年時代、ザックが夢中になっていたものは空想の中での一人サッカー。
飲み物のフタを選手に見立て、自在に動かしていたという。
つまり、ザックにはフォーメーションや戦術も遊びの一つだったのだ。
「ザックがまだ小さい頃、我々がフォーメーションを決める時いつも近くでみていた。それで家に帰ったら飲み物のフタでフォーメーションを考えていたんだ。まだ10歳か12歳の子供がだよ。いかにサッカー好きか分かるだろう」
しかし17歳の時胸の病気を患い、激しい運動を止められ選手を断念。
監督への道を余儀なくされる・・・
だが、それがかえって彼の才能を引き出した。
そして1998年、ACミランでついにイタリアの頂点に立つ。
その、栄光をもたらした要因は、超攻撃的サッカー。
当時のイタリアでは2トップが主流だったが、ザックはフォワードを3人にした。
果たして、理由とは。
「トップにもう一人多く使いたいという思いから生まれたシステムだ。フォワードの3人は攻撃に持ち味のある選手だった。だから彼らに守備をさせることはなかった」
あのレオナルドも、ザックの元でプレーした一人。
「面白いのは左利きの僕を右に、右利きの選手を左に起用したことだよ。システムにとらわれず、選手の特性を活かすのがうまかったね」
着実にステップアップしたこともあり、長年に渡りチームを指揮したことがないザック。
実は今回の日本代表も2年契約。次のワールドカップまでにしなかったのはなぜか。
「私の持論だが、選手も監督も2年以上は同じチームにいるべきではない。なぜなら2年で全てを教える事ができるからだ。選手は1人の監督から何かを習ったら、別の監督から新しいことを教えてもらう方がよい」
「そうした方が常に成長できると?」
「もちろんだ。強いリーグでプレーすることで、より多くのことが学べる」
今週月曜から始まった代表合宿。
初日にザックが見せたのは守備改革。
ポジショニングから視線の送り方にまで及ぶ緻密な指導は、まさにイタリア仕込み。
わずか4日間の合宿ながら、ザック流を選手に叩き込んだ。
果たして、ザックジャパンはどんなサッカーを見せてくれるのか。
日本がずっと待ち望んだ攻撃的サッカーは、今夜ここから始まるのか!!
イタリアきっての知将が描く、アルゼンチン戦への青図とは。
「代表の試合数は限られている。全てが真剣勝負だ。今回、たまたま親善試合なだけだ。私は選手たちの成長を見届ける義務がある。私の指示に対し選手たちがどの程度できるのかを知っておく必要がある」
「アルゼンチン戦はどんな試合にしたいですか?」
「今回の試合は私にとって重要だ。選手たちを知る上で絶好の機会となるだろう」
「今度の試合は新しい冒険です。がんばってください。ぜひ2014年のあとも続けていただけることを願っています」
「それは分からないね。今はチームを育てる事を考える。やる気も刺激も十分だ」
「ありがとうございました」
「こちらこそ」